Eテレ「偉人の年収 How much?」でヘレンケラーとサリバン先生が放送されましたね。
「偉人の年収 How much?」みた人はいますか?偉人はどのくらい稼いでいたのか?という番組です。
番組では、サリバン先生の当時の年収とヘレンケラーの当時の年収や、日本に来日した時の映像を見ることができましたね!まさか映像が残っているとは思いもしませんでした!
簡単にヘレンケラーとサリバン先生について「何をした人なのか?」をまとめました!
今回の家庭学習・自主学習ノートの宿題はヘレンケラーで決まりですね!
自主学習ノート「ヘレンケラーはなにをした人なのか?」簡単に解説
ヘレンケラーという名前を聞いたことがありますか?
私は小学生の頃に、教室に置いてあった伝記を読み、彼女のことを知りました。
伝記の「ウォーター」のくだりは、私が小学生の頃に読んだことを今でもよく覚えています。
今回、テレビで放送されたのを見て、とても懐かしく思い、久しぶりにヘレンケラーの伝記を子供と一緒に読むことにしました。
せっかく読むのですから、自主学習ノートに簡単にまとめを書いていきましょう。
【丸写しOK】ヘレンケラーはどんなことをした人なの?
今日の自主学習ノートの宿題はヘレンケラーにしましょう。
ヘレンケラーは1歳の頃高熱を出し、耳が聞こえなくなり、目も見えなくなり、話すことができなくなりました。
幼くして後遺症を抱えてしまいましたが、ヘレンケラーの両親は必死に後遺症を治そうとさまざまな人を訪ねました。
その中の人に1876年に電話を発明したベル博士という人がいます。ベル博士の家族には難聴者がおり、ろう教育にも熱心でした。そのおかげで、ヘレンケラーの両親はサリバン先生を紹介してもらうことができたのです。
ヘレンケラーはサリバン先生から点字ではなく指文字を学びます。
指文字とはアルファベットを指で表したものです。ヘレンケラーは指の形を触って読みとり、言葉を覚えていきました。
ヘレンケラーはサリバン先生と二人三脚で勉強に励み、難関大学に合格し首席で卒業。
その後は、身体障害者の福祉・教育に貢献し、公演活動など世界40カ国をまわりました。
ちなみに、ヘレンケラーは日本にも3回訪れ公演活動を行っています。
自主学習ノート「ヘレンケラーを語るにはサリバン先生は欠かせない存在」
ヘレンケラーが障がいを抱えながらも、身体障害者の福祉・教育に貢献できたのは、サリバン先生という家庭教師の存在が大きいですよね。
サリバン先生とはどのような人なのでしょうか。
サリバン先生はどんな人?
サリバン先生も幼い頃に病気になり、ほとんど目が見えなくなってしまったそうです。
サリバンは孤児院で育ち、じゅうぶんな教育が受けられませんでしたが、たまたま孤児院に来ていた慈善事業者に「盲学校」に行きたいと申し出たところ、盲学校に行かせてもらうことができました。
進学後、視力がかなり落ちていたそうですが、手術を受けることができました。
無事に手術を受けることができ、視力を取り戻せました。
サリバンは猛勉強をして盲学校を首席で卒業しました。
サリバン自身が目が見えないという経験があるからこそ、
目が見えない人が「何に困っているか?」を理解することができました。
何に困っているか理解できるからこそ、ヘレンケラーに熱心に家庭教師をすることができたのですね。
またサリバン先生がいたからこそ、ヘレンケラーは障がいを持ちながらも、人が羨むほど素晴らしい人生を送れたのでしょうね。
自主学習ノート「ヘレンケラーの伝記を読んで読書感想文を書くのもおすすめ」
ヘレンケラーが書いた書籍やヘレンケラーの伝記は今でもたくさんありますね。
ヘレンケラーが何をして有名になったのか詳しく知りたいなら、伝記を読むのが1番早いですね。
日本に来日したこともあるヘレンケラー。日本ではヘレンケラーブームが起こったそうです。
奇跡の人 ヘレンケラー
ヘレンケラーの自伝を翻訳したものになります。
まんが人物伝 ヘレンケラー
漫画で読みやすい伝記です。私も小学生の時に出会ったのは、漫画のヘレンケラーでした。
身体に障がいがありながらも福祉に貢献したヘレンケラー
今の時代、障がいについて学ぶ機会、触れる機会が多くあります。
しかし、ヘレンケラーが生まれたのは100年以上も前のことです。
当時は障がいについての理解はほとんどなかったと考えられます。
そんな時代に彼女たちが活躍できたのは、ヘレンケラー自身がたくさんの勉強をしてきたからだと考えています。
たくさんの偏見にもあっただろうし、罵声や好奇の目で見られることがあったに違いありません。
そんな時代の中でも、障がい者の福祉・教育に貢献してきたのはすごいことです。
これをきっかけに、障がい者の福祉について身近にあるものなど調べてみるのも良いですね
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